古地図で訪ねる楽器産業遺構
1887年(明治20年)に、浜松高等尋常小学校にあった壊れた米国製オルガンの修理を手がけたことからその構造を学び、1888年(明治21年)に日本最初の本格的オルガンの製造に成功した。
そして、1889年(明治22年)に合資会社山葉風琴製造所、現在のヤマハ株式会社の前身となる会社を設立した。
というのが、浜松市民なら誰でも知っている、楽器産業の始まりの物語。
で、その物語の発端となった浜松高等尋学校は浜松市立元城小学校の前身だと言われているが、そうとも言えるけれど厳密に言うと元城小学校じゃない。
学校の名称が違うとかそういう事もあるけど、浜松高等小学校は今の元城小学校とは別の場所にあったのだ。
古い地図(明治35年浜松町全図・浜松市史新編資料2)を見ると神明町と横に書かれた上に浜松尋常・高等小学校とある。
ということで、その山葉寅楠が修理したオルガンがあった浜松高等小学校は明治30年の国土地理院の5万分の一地図に重ねると図Aの場所になる。
ちなみに、この地図を現在の地図に合わせると図Bになる。ちょっと、分かりにくいな。
要するに、現在のリッチモンドホテルのあたりが浜松高等小学校の場所だったということだ。
ここが、楽器産業発祥のきっかけを作った場所なのである。
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