古地図で訪ねる音楽産業遺構「山葉楽器製造所」

古地図で訪ねる音楽産業遺構「山葉楽器製造所」

普大寺跡の庫裏を山葉風琴製造所として一年、山葉寅楠のオルガン製作は順調で七軒町の作業場では狭くなり、つぎの発展を期すため体制を整える必要があった。

そこで、明治22年3月、山葉寅楠は資本金3万円の合資会社を組織した。これまでの協力者、河合喜三郎、福島豊策の加え新たに地元の有力者中村藤吉の後援を得ることができ浜松駅北側の浜松町八幡地(現在の旭町、板屋町、砂山町の一部)に合資会社山葉楽器製造所を設立した。

上の地図は明治28年作成とされるもの。地図の中央下が浜松駅の場所。浜松停車場と書いてある。このこの地図のほぼ中央やや右に「山葉寅楠」「山葉楽器製造所」の文字が左から右へ縦に見える。場所は現在のホテルクラウンパレスの北側辺り。

また、山葉寅楠にオルガン製造の縁を作った浜松病院長福島豊策は浜松鍛冶町に居宅を構えていた。この地図の左下に「医師福島豊(策はかすれて読めない)」の文字が見える。場所は現在の旧松菱新館の南側あたりだと想定される。

別資料の当時の様子を伝える銅版画に福島豊策邸が描かれている。
古地図で訪ねる音楽産業遺構「山葉楽器製造所」

浜松鍛冶町の周囲はほとんど田んぼで、田んぼの向こうに浜松駅と汽車が描かれているのが見える。
画面左奥が田町、まさに田んぼの町だった。


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